なべっこ遠足のルーツを探る

なべっこ遠足③

 


石倉先生が引き継ぎ、寡黙だった調理中とは打って変わって、滑らかに語り出した。

 

 


石倉先生「先ほど北島さんの興味深いエピソードのなかにも、なべっこ遠足のルーツがはっきりしない、というお話しがありました。これには諸説があり、ここで結論は出せないのですが、県北の鹿角などでは、マタギの人たちが調味料と鍋を山に持って行って、山で採れた肉をしめて、山菜を入れて食べたという話があります。県南のほうだと山形の芋煮会という近い文化があります。僕はどちらが本当のルーツかよくわからなかったのですが、第1回目でも取り上げた畠山鶴松著『村の落書き』を読み返してみたら、もしかしたらこれはなべっこのルーツじゃないかと思える記述があったので、それを皆さんに見ていただきましょう。」

 

 

畠山鶴松『村の落書き―鶴松爺の絵つづり雑記帳』無明舎出版、1984より《山餅のはじまりと切りタンポ》
畠山鶴松『村の落書き―鶴松爺の絵つづり雑記帳』無明舎出版、1984より《山餅のはじまりと切りタンポ》


石倉先生「山餅は明治以前からだと伝えられているそうです。 明治時代の人も、米を搗いた餅は大好物なもので、いつでも餅搗きといって、その日は朝から仕事が勇み立ったもので何よりの楽しみであった、と。
正月のお祝いを家でできない山師の人たちが、大きな握り飯を焼いて、大木を切った根株のバッコの上にあげて、斧のみねの方で握り飯を叩いてつぶし、それをまるく小さい玉にして曲ワッパに入れて置いて、大鍋に味噌や山の獣の肉を入れてだしの出るまで良く煮立て、それに曲ワッパに入れてあった玉子(だまこ)餅を入れた。それを山の神様に備えてから、山で鍋を食べたといいます。」

なんと! なべっこ遠足のルーツもここに書いてあったのか! 石倉先生はなおも時代を遡る。

石倉先生「これでなべっこ遠足のルーツが完全に解明されたわけではありませんが、僕なんかは空想癖があるので、どんどんそのルーツを辿りたくなってしまう。鍋料理のルーツといえば、縄文土器ですね。土器により、汁物を漏らさずに煮ることができるようになる。始まりは、日本列島です。西アジアで土器の制作が始まるのがだいたい今か1万年ぐらい前。東アジアではそれよりも前に土器が作られていて、その中心地だったのが津軽海峡を挟んだ北海道と津軽半島のあたりです。旧石器時代から縄文時代に移り変わっていく1万4千年ほど前の時代に、最初期の土器が作られ、料理で土鍋が使用されたと考えられています。

 

そう考えてみると、世界で一番最初の鍋というのは、北東北のエリアに現れた可能性もあるのです。その時代にどんな料理を食べていたか。たぶん、土器でぐつぐつ煮出したスープですね。それに、動物の肉を雑穀のペーストで練った肉団子みたいなものを入れて煮て食べていた、と想像できます。いまでいう肉団子スープみたいなものでしょうか。この食文化は日本全国で見られています。

 

中沢新一先生の「土器のなかのスローフード」という文章(『ミクロコスモスⅠ』中公文庫所収)に、縄文時代の食文化のことが綴られています。中部地方の長野や山梨のあたりでは、ほうとうに良く似た雑穀のペーストが土器の鍋底に付着していたりするそうです。そう考えると、縄文時代の食文化と今のローカルフードはどこかでつながっているんですね。

 

穀類のペーストや肉団子が入った鍋料理。秋田もそれと似た文化圏で、雑穀ではなく、それをお米でやっていたというのが秋田の郷土食の特徴かなと思います。だまこ鍋もまさにそうですね。こうした食事が日常食だったわけです。ハレとケでいえば、ケにあたるのが鍋料理だった。」

 


1班のエリート鍋も、
2班の起死回生鍋も、
3班のバランス鍋も、
そのどれもが世界最古の縄文時代と変わらぬ食文化なのだとしたら、そのゆるぎなさは、ちょっとすごい。

 

 

外の料理と内の料理

 

石倉先生「料理民族学という分野ではハレとケの食事の分類が明確になされます。例えば外で肉を焼くバーベキューは、お客さんが訪れるハレのときに外で料理する、というのが世界中で多いんです。火で直接生肉を焼くという料理法です。間に水などの他の媒介が入らないこの調理法は、比較的時間がかからず、食材の形も崩れにくいので、外からの文化と触れ合うときにも採用されてきました。

 

逆に鍋でコトコト煮て食する鍋料理というのは、普通は家庭の中で食べられるものです。鍋に具材と水を加えてコトコト煮出した料理はケの料理とされて、共同体意識を育みます。

 

ここで、なべっこ遠足です。外でバーベキューをやるのではなくて、外に鍋を持っていくって、人類学的にはちょっと不思議な「捻れ」が含まれているわけです。わざわざ内々の料理である鍋を外に持って行って、野外で時間をかけて調理して、ともに食べる。こういうことをわざわざやるということが、小、中、高の子どもたちが大人になっていくにあたって共同体意識を持つのに大事な何かになったのかなと想像します。

 

なべっこは完全に見ず知らずの人とはなかなかやりづらい。小中学校の行事でやったという人が一番多いようですが、中には家族・親戚とやった、親の会社の同僚たちとやった、秋の収穫の後にやった、という声が聞かれました。ポイントは「ちょっとした親密さ」なのではないか。振る舞い、ちょっとした親しさ、ちかしさのある人たちと、完全にワイルドな野山の空間でもなく、家庭内でもなく、その中間に当たる原っぱや里山のようなところ、畑や田んぼのあぜ道なんかでやるのが、秋田のなべっこ文化の特徴かな、というふうに思います。

 

これはね、秋田、山形、青森あたりの人間関係の距離の取り方にもリンクしているように思います。アメリカ人は何か特別な機会があると、すぐバーベキューをするじゃないですか。だから初対面でもフランクな感じで話しかけてくるけど、なべっこは親しくなりたい人、ある程度親しい人とやるもの。見ず知らずの人とはやらないですよね。」

 

 

チラっと見える“垣根感”が

芸術に様式を生み出す


石倉先生「先ほど話した外の文化との接点になる料理か、内々の料理かっていう視点は実は現代のアートマネジメントにとても重要な概念なんですね。

 

例えばオラファー・エリアソンという北欧のアーティストリクリット・ティラヴァーニャというタイのアーティストが料理や食という要素を現代のアートに取り入れています。特にリクリットなどは美術館内で、観客に無料でタイカレーを振る舞うパフォーマンスを行ったりしています。今、アートマネジメントを学ぶ人は食のテーマを考えないわけにはいかないんです。これまでの「アート=食べられないもの」という枠組みが崩れてきている。食はアートとは関係ないよ、と思っていると、今の美術業界の文脈から古い感じがどうしてもしてしまうわけです。

 

もう一つお配りした、山口昌伴『台所の一万年』(農文協、2006)のプリントをご覧ください。図説「食べる営みのうつりかわり」のなかで、最も古い煮る道具として縄文土器が挙げられています。鍋料理どころかキッチン用品のすべてのルーツに縄文土器があるというのがすごいですよね。

 

 

山口昌伴「台所の一万年―食べる営みの歴史と未来 (百の知恵双書)」農文協、2006 のプリントが資料として配られた
山口昌伴「台所の一万年―食べる営みの歴史と未来 (百の知恵双書)」農文協、2006 のプリントが資料として配られた

 

石倉先生「今日のなべっこでも、お互いに

 

『隣の班はカレーにするらしいからうちは違うものをつくろう』

 

『あっちの班はセリなんて買ってたからきっとだまこ鍋かきりたんぽに違いない。うちは違うのをつくろう』

 

っていう無言のやりとりがあったはずです。

実はこれは縄文土器の発展の過程にもすごく似ています。

 

『隣の村の土器はああいう模様付いているみたいだけど、うちはもっと盛って行こうぜ

 

『うちはもうちょっと平たい形にしよう

 

それぐらいの垣根感、鍋っこできるぐらいの垣根感が重要なんです。つまり、垣根は高すぎても距離を生んでしまうし、低すぎると用をなさないので、いい感じの高さ、隣がチラッと見えるぐらいの垣根感が芸術に様式を生み出すんです。

 

東北芸工大がこうやってるな、といって秋美ができる。多摩美がこうやってるな、と武蔵美が見ている。ほんとにそうなんです。離れすぎず近すぎず。そこで料理ができあがってくるんです。山形はそばを作ってるぜ、と秋田では稲庭うどんができてきたり。この「似ているけど、違う」という感覚が世界に多様性を生み出していくし、郷土食の豊かさや芸術の様式を生み出していく。

 

実はこのセンスがないと、地域に根ざしたアートなんてできないんです。個人の才能でなんとかなる世界じゃないし、伝統をただやみくもに守ればいいというものでもない。ちょっと隣が気になるぐらいの距離感の何かを参照しながら、『あっちがそばならこっちはうどんにしてやろうぐらいが、新しい様式を生んでいくんです。」

 

 

「食べ残し」から芸術が生まれる

 

石倉先生「山口昌伴『台所の一万年』の中の《食べ残しのゆくえにはそんなことが書かれていますね。小料理屋さんでおつゆをサービスします、おすましか味噌仕立て、どちらいいですか、と聞かれて、おすましと答えたら、お刺身の残りの魚の頭を二つに割って、おいしい塩味の潮汁を作ってくれたエピソードが書かれています。このように魚まるごと一匹を無駄なく使うことを一物全体活用と言ったりしますけれども、すべてを食べていく。刺身で終わりでなく、内臓はあら煮に、頭は潮汁に、骨は味付けして、乾かして粉にしてふりかけに、と魚という生き物を食べ物に変えていくというセンスが、実はアーティストが素材から何かを作り出すセンスと深いところでつながっているんですね。

 

山本先生や藤先生はその辺の技術がすごく高いんです。美術の仕事だけでは食べられない時期にみんなで共食をする。できるだけ少ないお金でみんなが美味しく食べられるという技術を持っているのは、僕にとってはカルチャーショックだったし、おもしろいなと思った部分でした。できるだけ食べ残しを出さない。そして、歴史的には、生き物のどうしても食べられない部分から、道具やアート作品が生まれます。楽器や絵筆とか、あるいは画材や何かの材料にして使う。植物や動物の体の一部から僕らの体はできている。それと同じように、アートの素材や道具も、時には有機体の一部が使われます。岩や泥も、植物の皮や繊維も、動物の毛や毛皮、膠など、なんでも使って描く。使えないものはない、というスタンスです。つまり世界全体を使って絵を描いているようなものである。「世界を描く」とはそういうこと。食の世界ももちろんそこにつながっている。

 

 

ところが近代の美術では、《食べられる世界》とのリンクが切れてしまっていたのです。ここは現代のアーティストたちが意識的に反省し、取り戻そうとしているところ。なべっこの世界は実はアートの世界ともつながっていた、ということで、ちょうど時間となりました。」

 

五城目きのこ祭りでは、毎年だまこ鍋の出し殻を生花のように仕立てて展示する。これも「食べ残し」から生まれた芸術か? ©️三谷 葵
五城目きのこ祭りでは、毎年だまこ鍋の出し殻を生花のように仕立てて展示する。これも「食べ残し」から生まれた芸術か? ©️三谷 葵

 

 

 

第2回(了)